今回は前回に引き続き、教員を辞めるまでのいきさつについて
書いていこうと思います。
前回の記事はこちら。
異動したらいけるかも…?
特別支援学校の教員として働くことに疲弊していたころ。
辞められるなら辞めたい。けれど、このお給料がもらえる職業なんて
他にはない…
それなら、一度環境を変えたら?もしかしたらもう少し働けるかもしれない。
そう考えて、人事の希望を出す校長先生との面談で
家から近い範囲で公立の小学校へ異動することを希望しました。
そしてその年度末、私は希望通り自宅の近くにある小学校への異動が決まり、
改めてこの仕事と向き合おう、と気持ちを新たにしたのでした。
小学校での新たなスタート…でも現実は
勤務先の小学校、任された仕事
小学校へ異動し、私は特別支援学級、情緒クラスの担任になりました。
私の前任者は県内の特別支援学校へ異動。
入れ替わりの人事となったため、直接引継ぎでお話しすることはできませんでした。
受け持つ子供たちのことも、分掌のことも。
私が担任した子どもは5人。そのうち1年生が2人。あとは2年、3年、と
3つの学年にまたがっていました。
校務分掌は特別支援コーディネーター。
前任校でもこのポジションの先生はいましたが、
特別支援学校と特別支援学級ではやることなすこと違い過ぎて全くイメージがつかない。
しかもこの学校は全体的に発達グレーのお子さんが多く、
雰囲気が常にガチャガチャしていて一歩間違えば教育困難校。
しかもその時の校長はそれを力で抑え込もうとする昭和気質の校長でした。
子どもたちとの格闘の日々
受け持った子どもたちは、それぞれにとても個性の強い子どもたちでした。
1年生は2人そろって集団行動が苦手。
入学式ではなかなか体育館に入れませんでした。
おとなしいのか?と言われればそういうこともなく、
朝登校すれば靴をどこかに投げる、教室に着くなりランドセルを投げる、
朝の支度をせずに脱走、教室のロッカーへ平気で上がる、何か注意されれば叫ぶ。
そんな2人。
2年生は気に入らないことがあると暴力暴言脱走。
3年生も暴力暴言脱走。
こんな5人が一つの教室にいては落ち着くものも落ち着きません。
私との信頼関係もない中、恐らく5人がそれぞれお試し行動の真っ最中。
支援の先生も入ってくださっていましたが、給食前にはさようなら。
完全にキャパオーバーでした。
せめて私がもう一人いたら。もう一つ教室があったら。
そんなことを考えながら、日々子どもたちとの関係づくりに格闘しました。
この教員の働き方、おかしくない?
きっと、子どもたちの登校前に余裕をもって教室で待っていてあげられたら、
昇降口で迎えてあげられたら、もう少し関係づくりもできたかもしれない。
けれど、私も小学生二人の母親。
7時40分に登校してくる学級の子どもたちを余裕をもって迎えるとなると
我が子を今度はほったらかしにしてしまうことになってしまいます。
前職の特別支援学校の場合、教員の勤務時間は8時半から。
8時半で簡単な朝礼をし、8時40分から子どもたちは登校。
公立学校の教員の勤務時間は8時15分。
なのに、子どもたちは7時40分には登校してくる。
…ナニコレ。
徐々に、教員という仕事の人権のなさに失望していきました。
こうやって書いてみると、特別支援学校と公立小学校でも
働き方に大きな違いがあったことを思い出しました。
この比較についても、機会があったら書きたいなぁと思います。
今日はここまで。
良かったらまたいらしてくださいね。
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